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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

いつか何処かで・・・。1-28

いつか何処かで…。1

昨日、桜が咲いていたと思ったら、もう5月の20日、時のたつのは早い…。新緑に色を変えた草木が山並みを鮮やかな緑に変えている。
5月と言っても夜は冷え込んでいる。日中の暑さとの温度差は決していい環境ではない。
あれは20数年前、福山の弥勒の里のオープンセットでの撮影に参加していた時、作品は「写楽」だった。桜は満開で鶯が鳴いていた。カメラが回っているときにはしゃんとするのだが、待ち時間には背を丸めて震えていた。夜の撮影はみんな震えていた。熱いコーヒーが置いてあるは傍にたくさんのホカロンが積み重ねられていた。俳優さんが着物の中にいくつか仕込んでいた。石油カンのたき火には手を過さす人であふれていた。撮影の現場なんてそんなものだ。寒くては動きが緩慢になる、動きも鈍るし、顔の表情など作れるはずがない。
岩下志麻さんは何人かの俳優さんとたき火に当たりながら暖を取っていた。
外は夜風に流されて桜の花びらが舞っていた。
5月の20日のことである。
その年は春が寒い年だった。
「冷えますね」
岩下志麻さんが控えているところに顔を出していった。
「この地方はこんなにいつも寒いの」
志麻さんは笑いを作っていってくれた。
「これでも全国で一番晴れの日が多いところですよ」
「そうなんだ、桜が咲いていて、鶯の声がして・・・」
ロケ地は山を切り開いたところに江戸の街並みを作っていた。
岩下志麻さんとは初めての仕事だった。気さくな人で映画から受ける物より何か深いものを感じた。お父さんは野々村潔さん、新劇の重鎮だった。叔父は河原崎長十郎さん、その子が後をついで河原崎長十郎を名乗り、いとこ同士ていうことになり、何本も共演している。
篠田監督と結婚した時。
「君は女優なのだから家事はいっさいしなくていい」
志麻さんは家事をすることなく仕事に打ち込めたのだ。
出会いの時に、5月のみどりの風が通り過ぎていた。その風に桜の花びらはもてあそばれて舞っていた。
今日も昼間は28度の暑さであったが夜になると少し風が冷たい。
ひととはそれぞれ出会いがある、だから人生は楽しいともいえる。
私には志麻さんの映画デビュー作の「笛吹川」の初々しい姿が忘れられない。私の人生を彩ってくれた稀有の一人です…。

何時かどこかで…。2

今日、出版する初校のゲラが届いた。
私もたくさんの人の原稿を読み校正をしてきたが、自分の作品にこれほど多くの誤りがあることに驚いている。昔は原稿用紙に書いて清書の段階で直していたが、今はワードで原稿を打つので変換ミスや書いたつもりが書いてなかった、句読点が抜けていた。そんなミスがかなり会い、編集者の方にはご足労を戴いている。
私は書いたものに再度目を通すということはしない、書いたら興味を失うというのではないが、書き直したくなるので見ないことにしている。これは物書きとしてはよくない癖なのかもしれない。すべて編集者の方に丸投げをしてきた。今回もそうなる公算は大きい。
まだ、表紙も帯び譜も決まっていないが出版に進んでいることは確認できた。
この作品は私にとっては遺書として書いた。たくさんの人に読んでいただくという不遜なことは考えていない。読んでいただけたら人間とはなんと素晴らしいのかを感じてくれれば幸いです。
今の物書きがどのようなものを書いているのかは一切知らない。それらの本をどんな人たちが読んでいるのかも知らない。
「砂漠の燈台」は一人の女性が自分の灯りを捜す物語として書いた。砂漠の様な現代の中で迷い思いその灯りを捜す旅として書いた。
この主人公の栞は私にとってわが子に等しいものです。その成長を見詰めて書いたものです。私の手から離れた栞がこれからどのような人生を歩むかは読者の方に託しています。軽くはないテーマを読んで感じてくれれば、また、何を書いているのと反発してくれればそれでいいと思っています。
書き終わったときに作品は作者の手元から飛び立って何処かへ行ってしまうものです。拘りはなくそれぞれの所で生きてほしいという思いだけです。
東京、京都、倉敷、高千穂と書いていて、私にあるのはもう何十年の昔の東京、今を知らずにこのようになっているだろうということで書きました。京都も、高千穂も私の頭の中の想像物です。倉敷は地元だけにかきこめたのかと問われても自信はありせん。言って見れば舞台の背景の書割と同じです。だが、一人ひとりにはスポットライトは当てています。
作者から手が離れてあとは本の持つ命に任せるしかないことを知っています。
いつかどこかで見かけたら声をかけてやってください。そこで生き返るかも知れませんから…。
何時かどこかで…。3

今日も一日が過ぎていく。今週は暑い日が続くという。
「瀬戸の夕凪」という現象が瀬戸内の備前と備中地方には起こる。夕方から海風がバタッと止まることを言う。
「山海の珍味と温暖な土地で暮らしいいが、瀬戸の夕凪なけりぁ極楽」そんな言葉をよく聞いた。
夜になると蒸し暑くて何をするのも億劫になる。この地方は全国でも年間の晴れの日は多いことで知られている。朝の3時ごろから涼しいというより肌寒くなる。私にとっては最高でもある。
今、来年公演する台本を書いている、おかしい、劇作家はやめたと聞いている、と、出版する中の小説を脚色してら無性に公演したくなっている。舞台の魅力は私の心にまだ残っていた。来年にはぜひやりたい、出版の中にあるもので出版社の制限もあるが1年が過ぎれば何とかなるだろうという目算である。
「銀杏繁れる木の下で」
銀杏が取り持つ二組の男女の人生の中の愛について問いただしてみた。
この歳になると汚れたり人を傷つけたりの作品は書けない。綺麗な物語を私が読むために書いたものだ。
銀杏の下で出会い愛をはぐくんでいく物語、まったく現実を離れたものだが、愛するという原点を書きたかった。
役者はオーディションを考えている。演出も適当な人にお願いを症と思う。
私は全国の仲間からの案内も招待状もそれにこたえて事がない。
むろん地元の劇団との付き合いもない。
準備はこれから、まず練習会場、今まで放置していたスタジオを少し業者を入れて片付け小劇場としての場を作りたい。岡山県下にはたくさんの劇団があるが練習場を持っているのは私の所とあと一つ程度で練習場を借りて稽古をしている。そこまでして公演をする魅力は演劇にある。それは長くかかわっていたから気持ちは十分知っている。
今、それらの劇団が何をしているのかは全く知らない。爾来人の演劇を見るということを怠ってきた。

しずか  遊んできちゃった、たまにはいいか。結果報告をします、幾花さんはあなたと結婚することを喜んで承諾、家族の皆さんもそれを歓迎、みなさんは東京を離れてこの家で一緒に暮らすことになる。何か文句がありますか、私はあなたの親なの、あなたの気持が幾花さんを欲しがっている事はすぐに直感できたの。何か反論はありますか、あなたの心に沿っていなかったら言ってちょうだい
悠介  あなたに勝とうとも逆らおうとも思った事はありません
しずか  なにを悟った様な事を言って・・・結婚なんか言ってみれば博打と一緒、丁と出るか半と出るか分からないから面白いのよ。だけど言っておく、この地球上には何十億と言う男と女が住んでいる、そのなかで出会って結婚する、恋をして戸惑い、愛して生きている事を実感する、これは偶然の奇跡ではなく、四億五千万年前から続いた歴史のほんの悪戯なのよ。だけどそれをみんな信じたいから結婚する、なぜと聞くならそれが動物の本能としておきましょう。本能に逆らう事は絶滅を意味しています。はい、賛成なら盛大なる拍手をお願い致します
悠介   親父もたいへんだったことでしょうね
しずか  それだけは言わないで、私は運命論者ではない、何が起こるかそれは私が決めるってこと…
悠介  私の事も決めてしまったと言う事ですか
しずか  ごめんね。何か出しゃばって、またやってしまった。あなたのお父さんの生き方に呆れていて恋をして、一途さを愛して、勘当され、あんたが生まれた、それは勘違いから生まれた私の歴史なのよ
       サット行きかけて振り返り
 しずか  ああ、言うのを忘れていた、銀杏は安産祈願も受け付けているって・・・

       明りが落ち、銀杏だけが照らしだすなかホリゾントに夕景が映える
幕が下りてくる

いつか何処かで・・・。4

今年の秋に小学校の同窓会があるというハガキが来た。
75歳になることを祝してということが書いてあった。
何回か高校、中学、小学校と同窓会に出たことがある
そこでいつも思うのは恩師に記念品を差しだすという
ことであった。思えば恩師としての教育をしていたの
かと疑問を持つような教師もいた。懐かしい顔を見て
友の息災を喜ぶが、ここに集まる人たちは決して勉強の
できた生徒たちではないことに気づいていた。幹事も
同じで、今は起業をして社長になっていたり、親の後を
継いで会社を大きくしたりしている人たちであった。
つまり、その自慢話がしたくて会を催すということもあ
った。勉強のできていた人たちはどうしているのか、
その噂はあまり芳しくはなかった。
私は場違いなところにいる感じを受けていた。みんなま
じめにそれぞれの生き方をしてきた人たちの中で、自由
に生きた人は私だけという事で浮いてしまう。
医者や教師になっている人は来ていない。
私が物書きになっていると知った教師が、
「君は国語の勉強が出来ていたのかな」
と言ってきたときにはびっくりした。小学、中学、高
校の勉強で物書きなどになれるはずはない、大学を出て
もなれるものではないことを知らない無知なのだ。家は
没落していたので貧しかったし勉強はしたことがなかっ
たので訝るのは当然だったのかもしれない。その分、社
会に出て大変な目にあった。仕事をしながら漢字という
物を貪欲にかじった。勤めては失業保険がもらえると
それで食いつないで勉強をし、それを繰り返した。何も
わからない時期に書いたものが中央で評価された。そこ
で油が切れて彷徨うことになる。ここにはそのことを書
かない、それは今まで書き尽くしているからだ。
「うちの娘がスターになるというのだがそれを認める
べきなのか」
あまり親しくもない人がそう尋ねてきた。私がその世界
にある程度精通していることを知ったらしい。
「3億円あるか、娘さんに下半身に理性がないことが必
要だな」
私は夢を壊すようなことを言った。事実そんな世界だっ

たからだ。
その人はすごすごと帰っていった・
私の周りにはめずらしがって昔の悪ガキが集まってい
た。
が、私は浮いていた。来るのではなかったという思いだ
った。
私は幹事に、
「この歳まで生きてこられたことを記念してみんなか
ら金を集めて何処かへ寄付してはどうか」
と提言したが、一笑にふされた。
老いた人たちが集まり息災を愛で子供のころを振り返
り夢と希望がポケットにいっぱい詰まっていた時を思
い今をどの様に繕うのか、人生様々だが、何もかも忘て
楽しいひと時を過ごすことが生きていることを実感で
きるのかもしれない。
この歳になってもう同窓会などないと思っていたが、
やるらしい。
車で30分、岡山の駅前ホテルは私にとって遠いところ
…。

いつか何処かで…。5

二、三日前から背中が痛くなり息がしづらいので今日かかりつけの医者に行った。症状を語り診断を待ったが、
「それでは、腰と、背中のレントゲン、胸部のCTを取ってみますか、たいしたことは無いと思いますが念のため」
結果、骨はボロボロになっていてその関係で背中が痛くなり息が苦しくなるという診断を受けた。
まあ、75歳にもなれば骨はちびるし傷んでくるという。
何の治療もできない、このままで暮らしていくしかないという。ほかの臓器には悪いものはないという。
私も務めて健康に留意したことがなく、運動もしない、ただ、一日中パソコンに向かって言葉を綴っているという生活なので自然現象として納得するしかない。骨の老化を道連れに生きていくしかない。
人間とは歳を取ると何もかも草臥れていく定め。文句を言う体と相談しながら仲良く道連れで生きていくしかないということだ。
最近、医者に行くなということをよく聞くが、病気にされるから行くなということらしい。それは医師につらいところを治してもらおうと思うからだと思う。安定剤、医師に診てもらったという安心感だけでいい。見てもらって帰ってから背中の痛みがなくなっている。薬など安心薬と思えばいいということだ。信心も薬も同じ、信じるから効くというものです。
よりにとって骨の老化、正常である方がおかしいともいえる。今まで使ったものを再生できるものではない。
話は少し道をそれるが、人間の臓器と一番良く似ているのがブタであるらしい、豚の臓器を移植する時代は近づいているという。何度もその実験はなされて使えるという判断が出ている。やがてブタの心臓を移植した人たちが生きながらえる時代が来る。なんだか、豚に悪い気もする。これは人間の傲慢なのか、何時までも生きていたいという人たちのわがままなのか、それには皆さんの考えもあることだろう。
人間は肉体は死んでも魂は残る、という科学者による研究が今急ピッチで進められている。
死んでも生き続けられるということは古代から人間は知っていた。
先祖の魂は遺伝子となって今の子孫の中で生きている、今自分で生きているように思っている人たちも先祖の遺伝子からテレパシーが出ていて時に窮した時にはサポートを受けている、そのことにはまったく無頓着でいる人が多い。
いい因果を持った遺伝子の人たちは顔の層が異なる。顔を見ればその人の先祖の遺伝子が見えてくる、それを第六感という。ひらめきなのです。人間はとくべつに修行をしなくてもシャーマン的な霊媒を持っているものだ。霊媒師の予言は顔に現れた先祖たちの魂との交感をすることから生まれているのだ。この顔だったら何々という風にである。人間、そんなに特殊に生きている人は多くない、からいとも簡単に信じてしまうことになる。
医師もその実例を知っているから治療ができる。
今回のことは心において骨の老化による崩れと仲良く道連れしろということらしい。
定めに流されるのではなく定めを流れることにしている。自分の命は自分で責任をもって生きていくしかない。
私はより良い遺伝子を子供たちに残せただろうか…。


いつか何処かで…。7

性鬼の前川氏の問題も墓穴を掘ったようだ。あの世界の人は最近口が軽くなっているからすぐばれる。日頃の行動が明らかになると国会証人としても言葉に信憑性がなくなり、芸能界のパラエティーと同じ価値しかなくなる。朝日もとんだ人に関わったものだ。爾来朝日は裏を取らないことで有名である。つまり反省のないところに進歩はないということか…。昔もくだらない新聞記者が多かったが、朝日にはまだこの手のゴク潰しを飼っていることになる。新聞という使命も感じず、記者魂というものを持ち合わせていないということだ。
昔からそんな記者もいたが中にはまじめな記者もいた、が、皆やくざの様な振る舞いをする人が多かった。記者クラブは市役所、警察署、駅などにあったがそこでの発表をみんな同じように聞き記事を書いていた。だから暇でしょうがなく、クラブには麻雀、囲碁、おいち株など遊び道具は揃っていて発表のない時間には遊んでいた。クラブの壁という壁には業者からの差し入れのビ―ルがうずたかく積まれていた。企業のパーティーに呼ばれればお土産をいっぱい貰っていた。記事など書けないように差し入れやお土産を貰っていたからまず記者は書けなかった。
「記事で人を殺すな」「ペンは剣より強」などというが上前をはねていたのは彼らであった。
彼らはまず交通違反で罰金を払うことは無かった。それは暇なので所轄の警官の素行を調べ上げていて裏取引をしていた。
大手新聞から地方紙へ天下りをすることは恒例になっていた。
その体質は今でも変わっていないようだ。今ではやめて大学で教鞭をとるというが何を教えるのだろう。ろくに専門分野もなく勉強もしていない記者上りが、生徒がかわいそうだ。
今の地方紙には共同通信から記事を買うので専門の記者はいない。ローカル面をうずめる提灯記事で事が足りる。
新聞を取る方もチラシが多く入る新聞を取る。記事なんか読まないのだ。が、朝日より反日の新聞が多い、それは共同通信の配信を載せるからだ。
今、これだけ情報が満ち溢れていればテレビも新聞もいらなくなる運命を背負っている。
テレビがひどい、制作も、役者もなんと在日に満ち溢れているのか…。
一番ひどいのはディレクターで日本のドラマなのに、風俗も、仕来りも、礼節も、時代考証も、衣装考証も知らない人がやっているからドラマはどこの国のものかわからない。また、脚本家が無知なのもそれに拍車をかけている。
映画の世界も題名が何を指しているのかわからないものばかりだ。だれが観ているのか不思議である。
文化は雪崩のように崩れている。
日本人は何に心を癒されればいいのか・・・。
これは一人の一人の価値観であり文句は言えないが、せめてよかったという感動を与えてほしいと思う。
作り手も見る側も乾いた感性しかないのだろうか…。

いつか何処かで…。8

倉敷は今日一日鬱陶しい日だった。が、気温は上がっていた。私はこんな日は苦手としていた。頭に雲がかかっているような状態である。思考力はなく深くものを考えることはできない。こんな日は一日ぼんやりと過ごすことにしている。書き物をすると直すのが大変、変換ミス、脱字、語彙の間違いに気づかないということが頻繁にある。だから書くことはしない。
今日、夜這いというアマゾンの話を書いておられた人がいた。
何時の世も同じであるが日本には夜這いの風習が戦前まであった。男はそこで男になり世の中に出ていき女性を愛することを学んだ。これは非常に合理的な風習であった。その手ほどきをしたのは行かず後家さんと未亡人の人たちであった。これは相互の利益が一致した。昔は女性は子供を産み育て、男は戦場に赴く、そこで未亡人がたくさんいた。この人たちは女性の本能と男の本能を結び付ける天使になった。これらの人たちがいなかったら今の様な男女関係になって殺伐とした世の中になっていただろう。取り締まられることもなくみんな合意で行われていた。一番社会の主役でもあった。
今、その風習があることを聴かなくなった。
女性の体験の低齢化、男性の高齢化、中高でみんな飽きが来て結婚、恋愛も億劫になっている。そこに男女参画とかいう社会を作りより男女の隔たりを広げた。男は結婚をしたがらなくなった。遊びなれた女性などいらないということだ。また、結婚の高齢化、遺伝子に傷ある男女からは生まれてくる子供がかわいそうである。昔は初潮を迎えると嫁に行き十代で子供を作った。すこぶる健康な時に生んでいる。それが、世界の常識としていたころである。人間が今あるのは動物が持つ子孫をいかに残すかということを凌駕している。人間は人口を増加させた。
世界の王朝などは、自分の財産を人にやることを良しとしなくて近親の風習があった。それ故に短命で奇形児が生まれその王家は没落し、また侵略によって消えている。この姿はどこの国にもあった、朝鮮の試し腹などの風習が残っている。この風習も世界のどこでもあったことで朝鮮だけではない、が、今も残っているのは朝鮮ということになる。また、黒人社会にも根強く残るものだ。
古代、男が女性を求めなくなった時期は何度かあって、女性がいかに困ったかということは記されている。
私はその筋の専門家ではないので、その時困り果てた女性が唇に朱を引いたら男が寄ってきたと記している。そこから化粧というものが始まり口紅を引くということが男にスイッチをいれるということに通じると女性はみんな紅を差すことになった。また、スカートを短くし肩も露出する、下着も男の心をくすぐるものに変えて行く苦労は今も続いている。これは両性の一種の戦争なのである。また、このことが男女の本能の発露と言えよう。
今、不幸にもそれが激しすぎて男女の感覚がマヒしていることだ。
私は何も大正デモクラシーにおいて女性解放を叫んだ人たちを非難しているわけではない。甘い言葉で優しく女性とはと囁いた人に罪を問うものではない。
今のように男女の社会を作ったのは女性ではなく男性なのである。それは女性の欲望を盾にして「解放」を謳い今の不均衡な世の中を作った罪でもある。
私は夜這いという風習があれば少しは違った風習が今を良い方向へといざなったのではないかと思い書いている。
頭が重い、働かない、・・・。
結論として優しい女性が男によって操られそれを信じて不自由な世の中にあることを憂いているのだ。
これは人類にとって決して最善ではない。このままだと男が女性を求めなくなることを予感する…。
これは私の個人の思考であり偏見であることを認識してくださればと…。

いつか何処かで…。9

 皆が許してくれたから好き勝手に生きて、色々なものを作り、手に余るほどの思い出をありがとう。家族にはいい手本を見せてあげることが出来なかったと思う。許してほしい。これでも精一杯に生きたつもりでいる。
 どのように生きても構わない、後悔は常に付きまとうものだ。その思いが成長をさせてくれる。総ての行いは次へのステップと考えてほしい。受動的にならずに能動的に生きてほしい。
 まず体の健康を整え、人に対し、社会に対して生きてほしい。どのような環境にあっても感謝の心は持っていてほしい。それがあれば幸せに生きられる。そんな思いで生きてきた。
 常に君たちの幸せを祈っていた。それしかできなかった。
 ただ一つだけ言わせてほしい。どのような不平不満があってもありがとうと受け止め最善を尽くしてほしい。
 私が生きてきた歴史として「yuuの一人芝居」に載せている。後半の人生の生き様である。それ以前は自分史を見てほしい。総ての作品の著作権は放棄している、どのように使ってもらってもいい。言いたい事は、総ての人間の命は皆等しくとおといという原点を忘れないでほしい。
色々と言う人の言葉を精査して判断して生きてほしい。頑張らなくてもいい、人に迷惑がかからなければゆったりのんびり適当と言う事が人間の精神には必要なものだ。
 思うままに生きる、それでいいと思う。
「東大に行って国を動かす人になるより、人様の邪魔になる石を動かす人になれ」これは蓮井家の家訓の様なもの、だが、このように生きる事はなくていい。もうひとつ、死生観を持って生きてほしい、これは私の作品の骨子となっているので見つけてほしい。名誉も金も縋るべきではなく、平凡のなかに幸せを感じ取ってほしい。
「人が生きると言う事は、一人一人の心のなかにある大切な種から芽を出すものを育てること、それには夢と言う肥やしがいる」
 この言葉を残す。夢を持ち夢のある生活をしてほしい。

 これから人間の世界は大きく様変わりをすることだろう。そんな中、良心をもって生きていれば生きられる。それも大きなものでなくていい、小さくて深いものを持ってほしい。誠実と言う言葉に尽きる。社会においての評価など気にする事はない、真摯に生きていることであれば何も怖がる必要はない。

 学歴社会は終わった。人に役に立つ生き方を見つけて生きてほしい。それを見つける時間を大切にしてほしい。一つのことに打ち込むその生き方を会得すれば、社会に役立つ人になるだろう。人生において無駄という時間はない、総てが貴重な時間であることを知ってほしい。
 私は、私の父と母は心の中で生き続けてくれていた事を伝えたい…。

 また、ともに歩んでくれた妻には感謝していることも…。
 そして、みんなから沢山の感動を貰ったことも併せてありがとうと言う言葉を残したい。

人はどのような言葉を残すのからわからない。私はこのように言葉を書き残そうとしている。
それは私が生きて感じたことを書いただけだ。私の演劇台本の幕を下ろす前の言葉として…。
思えばいつも死を感じて生きてきた。そして、人間の偉大さを書き続けてきた。
日本に生まれてきたことを、そこで生きられたことをいくら感謝しても言い尽くせない。自由な精神で暮らせたことはありがたいと思う。たくさんの素晴らしい精神を持った人たちと出会いその人たちから頂いたものは多い。その人たちから頂いたものはその人には返していない。次代に生きる人にその思いを伝えることを使命とした。
これから後いくら生きられるかわからないからやることだけはやりたい。人類の歴史を作ってくれた人たちの後の歴史を書き残したい。そして、普遍の人間の在り方を綴りたい。
それが生きている証として…。

いつか何処かで…。10

強い雨が大地に突き刺さっている。遠雷が響き渡っている。
今年初めての雷である。
こういう日も私は苦手である。気圧の変化に体がついていけない。
そんな中、幻冬舎から最後のゲラ校が届いた。私は書いたものを直すつもりはない、書いたときの心をそこに置いたのだからそりことを大切にしたいと思っている、今直すとその時の気持ちが消えることになる。
幻冬舎の校正者は丁寧に校正をしてくれている。広辞苑を引き漢字を適切なものに変えてくれている。人物事典をもとにして実名を探し出してくれている。さすが名のある出版社だけの仕事ぶりである。私がその校正に対して同意の〇を入れればいいのだ。すべて〇を入れた。ワードで書いているから変換ミスがかなりある。爾来私は横着者であるので書いた作品は1カ月後に読み返すことにしているから、そこでも手抜きをして書いているとして読んでしまうところがある。
流行作家のゲラ校も見たことがあるがほとんど真っ黒だった。校正者が指摘し、作者がそれをなおして汚すのだ。それに比べれば汚すことはなかったが、作者校正はは得意ではない。先に先に読むから間違いに気づかないのだ。人のゲラ校は校正するときに間違ってはダメだという心があるから十分に時間をかけてやったものだ。
一度来てほしいと言われた。
東京は15年前に月に1-2回会議に出席をしていた。5年間も続いた。往復の新幹線とホテル代は出してくれたのでこちらの腹は痛まなかった。だが、私は窮屈なに事は苦手、たくさんの人に会うのも気恥ずかしいという性分で億劫で仕方がなかった。パーティーは国際的なものが多くいろんな国の人がいたが、言葉など分かるわけもなく、その人たちの大きさにびっくりしたものだ。
飲めないからやたら食べていた。早く追われて祈っていた。
ここで東京に行くとなると15年ぶりの上京になる。「砂漠の燈台」では東京の風景を書き連ねているが、行っていたころから15年間の発展を予想して書いた。舞台を東京にしなくてはならなかったから書いた。たぶん書ききれていないと思う。
体の調子もあまりよくないから返事はしていない。
今夜ゲラ校をするがなるべく早く返したいと思っている。手元に置いておくと気になってしょうがないからだ。
私は小説家ではない、劇作家だったのでこだわりはない、が読んでくれる皆さんのためにも丁寧にやらねばならないと思っている。
作品を書いたものとしてその責任を逃れることは許されない。
雨は小降りになったが稲妻の光が走っている。
出版が決まったときは興奮したが、今は冷静さを取り戻している。
それより、
来年、この中の作品を脚色して公演する準備が行われている…。
無性に舞台がしたくなった。
小説を書くという個人の作業でなく、舞台は何十人との連係プレー、観客と一体になれたときはこれほど体が歓喜することは無い。
役者は舞台に上がると観客の目が突き刺さって切る。その時には何にもまして恍惚とし体が宙に浮く、オルガスムスを味わうのだ。
映画、テレビの女優が舞台をやりたいというのはその喜びを知っているから。
昔は、男より、食事より舞台に上がりたいという女優がたくさんいた、舞台役者が晩婚なのはそのせい。
食欲と性欲をはるかに超えた喜びが体中を駆け巡る。
が、今の役者はなんとその喜びより、ギャラをほしがっている。
今の現状の環境では優れた役者が育つはずがない。
大根役者がいなくなった。と書いたら大根役者ばかりの間違いではないかと思われるかもしれない。が、この大根役者という言葉を間違って認識しておらわれる、大根役者とはオールマイティーな役者のことで煮ても焼いても刺身のつまにもと食べられるという役者のことを言うのです。
東京の劇団は在日ばかり、映画もテレビも在日の演出家、日本の文化的なその世界はもう終わったと言える…。
日本人による文化の継承がなされていない…。

いつか何処かで…。11

最終のゲラ校は送った。あとは幻冬舎の編集下平さんがやってくれることになっている。私がしなくてはいけないことはすべて済んだ。あとは本が完成するのを待つだけである。

なんだか不気味な静けさを感じている。北朝鮮、シナ、ロシア、韓国、アメリカ、そして日本。ここに戦火が起こればそれにかかわった国がなくなることを恐れ手が出せないのが現状だろうか…。果たしてアメリカの国民は本当にこの戦いを後押ししているのだろうか、アメリカの財政は皆さんが考えているより厳しい、それは国民が一番知っていることだ。先にシリアに打ち込んだミサイルは賞味期限が切れそうなもので、軍事産業は儲かった。最新の攻撃機器は常に研究開発しなくては儲からないし金を使う。それを戦争で使ってもらうことで成り立つのが軍事産業だから使ってもらわなくては研究もはかどらない。
今、世界で使われている家庭用の便利な製品はすべてが軍事産業からの技術である。技術革新は戦争に使うものから派生している。
次世代の戦争機器によりこれからの家庭用の便利な品物が生まれるということだ。
今、完成を急いでいるものとして、レールガン、レーザー砲がある。レールガンの技術はすなわちリニアモーターの技術がなくては作ることが出来ない。これが完成すれば一番安価な武器になる。日本にはリニアの技術があるからその研究も盛んで完成が待たれる。
人々は平和を望んでいるが、平和では儲からない産業、軍事がある。
これを翻って考えたら、ロシアがあれだけの軍事産業を持っていてほかの産業がないのか、人工衛星、などの技術は世界に誇れるものなのにである。それは家庭におけるものへの転用がなされなかったということに尽きる。戦車があり軍用トラックがあっても自家用自動車を作る技術がない。ロケットを飛ばすことが出来て家庭電化製品が作れない。その他の技術産業もない。軍事産業で儲けていた国の弊害であろう。それは何かシナとか韓国のようにコピーを良しとしなかったことである。大国の面子か…。
まあ大国と言っても国民生産力は日本の半分である。原油とガスで息をついていたがその売値が下落して所得が大幅に減少した。
油田の閉鎖が行われている。ロシアの今後を握っているのは安倍総理である。
トランプ氏がパリ議定書の脱退を宣言したという。これは正しい認識として捉えている。CO2が地球温暖化を促進していないということを宣言したに等しい。テレビがこの件で喧しく騒いだというが、温暖化の根拠を示して文句を言ってほしい。ただ幻想で
自分の錯覚で反論はしないでほしい。科学的に証拠を示すことだ。南極の氷が解けているとアメリカの元副大統領が書いて一躍評判になったが、まったくのでたらめにおどろかされたことを忘れたらしい。トランプ氏は正しい判断をしたということだ。
また、アメリカは北の大陸弾ミサイルを想定して迎撃に成功したということも、核には核をもって迎撃をしたのだ。
2千発も核実験をしていて地球は放射能で汚染されているから空での核爆発は地上では日常の放射能と変わらない。
そんな世の中も好きではないがこれも地球の生成から幾度なく繰り返されたことで、人類の滅亡は何回もあった。その時に人類は進化している。
まあ、進化の途上と考えればいいが、これほど人間が死を恐れた時代はない。戦場の歩兵は銃弾の矢面に進軍し死んでいる。死を全く恐れることはなかった。その人たちは人間の本能である子孫を残したということでその恐怖を持たなかった。
今はも死を恐れ死生観も持ち合わせていない。これは一重に本能の減退、喪失である。
今の世の中を見ても助成の反乱があり、その反乱の素は男性が女性を求めなくなったという焦りである。この件は別に書きたい。
小池東京知事が自民党を離脱した。これは当たり前のことで遅すぎる。また、豊洲の問題を解決が出来ないということは知事として失格である。税金を垂れ流しているだけ、東京都民は怒らなくてはならない。支持者の後退が顕著に表れている。歯止めが来そうにない。くだらない人間ばかり集めて新党を作り、橋元氏を真似てみても知識と理論が異なる。都議選は彼女の奈落への道になるような予感がしている…。いろいろと渡り歩いた末にたどり着いたところが終焉となりうる。都民の勘違いで知事になれたがそれに気づいた都民は愚かなことはしないだろう…。
後がない、終わりという文字が見えている…。

いつか何処かで…。12

気圧に作用される健康も何十年と経験すれば慣れようというものだが、そうはいかない。今日も頭は鬱陶しい日だった。そんな日が続いている。作品など書ける状態ではなくこうしてここに書くのがようやくというところ…。
「めぐり来る季節の中で」で女性を書く為にいろいろと思考し構想を練っているのだけれど、
今の女性は本当に幸せなのか、という疑問をもってしまいます。それは幸せ、生きがい、という概念に関してだが、私にはわからないことが多い。
動物のメスとしての女性の本能を書こうとして、それがどうしても現実を見ていると書けない。女性の本能を書こうとして、昔からの女性の生活の中での本能を見ていくと、日本は決して性奴隷ではなく、
平塚雷鳥が言った「かつては女性は太陽であった」という言葉にぶつかる。かつてではなくいつの時代も太陽の様な存在であったことをあらゆるものから確認できる。雷鳥はなにを言いたかったのだろうか。女性解放、馬鹿な、女性は常に開放されていた。振り回されていたのはむしろ男であった。大正デモクラシーの盛んなおり、あの開放的なモダンないでたちを見ても女性は隷属されていなかったということがわかる。
また、足尾銅山の鉱毒事件に物申した福田英子氏、大獄自県の時菅野菅氏を見ても堂々と政府と渡り合っている。そこに自由がなく考えがなかったとは思えないし、つまり、自立して自我をもって生きてなくてはその行動は出来なかったということだ。
松井須磨子氏のことを書かなくてはなるまい。
「カチュウシャの唄」を歌い一世を風靡したこの歌はトルストイの「復活」を島村抱月が訳して脚本にしたものでその主役のカチュウシャを松井須磨子が演じて歌ったものだ。この時代には眼を見張るべき活躍は素晴らしいものがある。日本の一人者になった。「人形の家」のノラを演じ、あまたの作品に出ていて日本の演劇界をリードした人である。
妻のいる島村抱月と恋愛関係になり世間を騒がすことになるが、寧ろこのスキャンダルは世間に好意的に受け入れせられ、女性の自立として持て囃される部分もあった。
抱月がスペイン風邪で亡くなるとその2か月後の命日に花と線香を二人の写真に備えて首をつり人生の幕を閉じた。これは大変な衝撃を与えたものであった。
ここに女性の自我をとらえるべきか純真な愛とみるのかで意見は分かれることだろう。
が、私はこの自殺は完成ではなく未完成とする考えがある。何か太宰の甘えを見、愛というものを勘違いしているとみる。
このように流れがどのように女性に変化を与えていくのか、江戸時代には戒めとして姦通罪があったが、維新以後にはなくなり性に対しても非常におおらかな時代、家庭持ちの男とのいわば不倫が正当に恋愛という形を取り受け入れられた社会へと変貌していく。与謝野鉄幹と晶子、それも奪略婚である。晶子の「君死に給うことなかれ…」という弟に書いた詩など男を奪った女性がよくも当たり前のことを書いたものだと可笑しくなる。
このような時代の女性の遍歴を見ていてもなお解放と叫ぶ雷鳥の言葉の意味が分からない。
私はむしろ安倍貞のように愛するあまり男を独占するために男根を切り取った貞の方がいとおしく感じている。爾来、女性の本能は貞に軍配を上げたい。
女性は子供を育て、男は戦場へ赴く、これが世界の歴史であった時代、子供を育てる為に精一杯に働き育てている。夫の戦死後は決して孤高を守ったのではなく、戦争未亡人として社会に貢献している。例えば夜這いの相手をする、この風習は男を経験させ男女の夫婦生活にとって何にが必要かを感じ取らせて貢献をしている。未亡人は決して不幸ではなく一番にもてはやされた階級であった。
昭和33年3月1日に売春禁止法が出来、日本の伝統的な制度はなくなった年だが、それが正しいものであったのかは疑念だ。今。世界の風潮としてはそれを合法とする国が先進国で多いということでもその必要性を認めている。その制度がなくなってレイプが増えたという報告もあり、政府は売春は禁止しているが風俗営業には見て見ぬふりをして緩和地帯を作っている。いってみれば合法ではないがそれを恋愛としてなら構わないということに塗り替えたのである。
市川房江氏などがやさしく女性はこうあるべきだということでウーマンリブが盛んになり男女社会の変革を問う時代もあった。がすぐ下火なった。それは何もデモなどしなくてもそれらのは女性の地位は保たれていることを知って後退した。
私は現代の女性は極言すれば不幸であると思っている。結婚が出来ない、少子化だと、世間から騒がれているが、自立と自我のバランスが崩れていて社会に取り残されているという感じだ。女性の体験の低年齢化、男の体験の高齢化など、中高で何もかも知り尽くした者が結婚という縛られた関係を作ることはできないと思う。結婚してもこの浮気の多さ、離婚の増加を見ても、性に呈してわがままに享楽的な行動をしてのふるまいは、男を委縮させ結婚願望を喪失させる以外何もない。一部の男にとっては喜ばしいところだが、大方の男は女性から逃避し一人の方が良いという現象が生じている。
早い未来には男が女性を求めない時代が来ることを予見する…。
このあたりのことはまとめて書き続けたいと思っている。なぜ。
これが次作のテーマであるからです…。

いつか何処かで…。13

今日も頭が重い、昨日も重い中をたくさん書きすぎていました。
外に出ると冷え込んでいます。梅雨の便りもちらほらと出ているのにこの寒さは…。
地球は確実に寒冷化に入りつつある。人口の移動は寒冷化と不思議に合致している。
ここで温暖化の嘘がばれてしまった。CO2の排出が温暖化を促進させるなどと戯言を言っていた気象学者や専門家やそれにより利権に群がっていた人たちの嘘がバレたことになる。まあ、言葉の責任は取らないだろうが。
まず、NHKは特集を組んで温暖化だと叫んだがその責任は取らなくてはならない。またそれに賛同した学者やコメンテーターの面々はまず頭を丸めなくてはならない。
アメリカのトランプ氏がパリの議定書の離脱を宣言した。まあ、温暖だエコだと言って削減をしていたのは日本だけだから、アメリカがそれを正式に離脱をするということは環境問題を経済問題のネックになることを問題として捉えたからだろう。エネルギーを使って増産する、それを抑えて日本から家電が消えていった。
クーラーの温度も制限され、クールビス、デフレは改善しない、消費は落ち込む、少子化、晩婚、日本のあらゆる負の遺産を抱え込んだことになる。
日本人は何も考えないらしい、自然環境を守ること、再生エネルギーを推奨してエネルギーを大幅に消費していることに気が付いていない。また、それが自然環境を壊していることも関係ない。目先の金に右往左往している。
南極の氷も北極の氷も解けてはいない。この何十年間で気温が上がったということは無い。まあ、都会で、その近くで測ったものから温暖化と決めつける、都会のヒートランド現象では正確な数値は出せない。これはインチキという。
安倍公房氏は「第四間氷期」「水中都市」で温暖化していく日本を書いているが、この作品が書かれてのは日本は寒い時期だった。
温暖化だけではなく利権に絡んだ嘘がはがされている。
医学界では血圧、コレステロール、メタボ、抗がん剤、人工透析、これらの儲けと癒着は国民が認知するに至っている。
政府の借金を国の借金だとして国民に負わせようとしていた。財務省の消費税の増額を目論んでの嘘であった。
議員も公務員も国民の公僕というのも嘘である。国民のためには最善を尽くさない。言って見れば税金泥棒である。
寝たきりを増やしたのは、定年制なるものである。働けるものを失業者にさせ生きる活力と生きがいを奪ったということだ。
人間は自由を欲するものだが、自由には制限がかかっていることを知らなくてはならない。今の世の中には嘘の自由がまかり通っている。本能を劣化させることを自由とは言わない。義務と権利が果たされて初めてそれらは与えられるものだ。
また、自虐史観という言葉でいとも簡単に片付けられている現実がある。これも嘘である。真実を知ろうとしなかった、考えることをしなかった付けである。GHQがと言うだろうが、そんなに簡単にその誘惑にかかってしまうほど日本人は純粋で未熟であったのだろうか。日本人の精神は脈々と続いた遺伝子によって継承されているものがある。それまで奪うことはできないものだ。
堕落でしかない。堕落の方が生きやすい、それを選んだだけである。今の状態を次世代に引き継がせたくはない。それが遺伝子からの死生観でもある。そこには反省と責任と覚悟がなくては生まれない。ただ生きている亡霊である。過去の遺産を無駄に使い未来に遺産を残そうとしないわがままな生き方である。
マスコミも嘘の羅列である。国民を奈落へ向かわせる洗脳に余念がない。国民はそのことにいち早く気づく、それは危機に関して反応する防御がないということだ。
ここに嘘を書いてきたが、
国民のレベルで政治もマスコミも文化も経済も決まるということだけは知っていてほしい。すべてが国民にあることを・・・。
すべからく国民はそれらの嘘を見抜きそれに振り回されないことだ、それはみんなが持っている本能である、偏に危機に対しての身を守る本能の劣化である。奴隷のように飼いならされていることに気づき何が本当に必要かを判断することなのだ。
人間の証として・・・。
生きるということは目的ではなく一日を無事に終わって明日を迎えることの喜びなのだ、その喜びを確認するには利他的な生き方をしなくてはより多くの喜びはないことを知らなくてはならない…。
嘘か真か、それは皆国民のレベルで決まることを…。

いつか何処かで…。14

倉敷は今日も一日曇りが多く晴れたのはひと時であった。
梅雨入りが宣言されジメジメした日が続くと私の頭は重く目がちかちかして思考力は極端に低くなる。
昔から春と秋にはものは書かなかった。その間いろいろと様々な馬鹿なことをしながらその中から知識を知恵に変える作業をしてきた。
ほんまかいな、と書物から得た知識を体験し実行してその真意を推し量っていた。
書く材料の真意を、裏を取ってきた。あまりそれらを詰め込むと独自の想像力がそがれるので書かれたものより想像力に重きを置いていた。
つまり書き手の妄想を重視したということだ。私にとって妄想こそ、妄想から生まれた社会の人間の新しい発見こそが書く必然でもあった。

今、世界を俯瞰して見て一番危ういのはイギリスだという結論に達した。日本と非常によく似た島国である点と、EU加盟での移民で苦しめられ、離脱を国民がなぜ支持したのかは国内の秩序が乱れに乱れたことに対しての危機感であった。
日本はイギリスの現状を注視し分析してそれを反面教師としなくてはならないということだ。
学校の崩壊、教室の秩序のなさと暴力によって教師は次々とやめていき外国から教師を招く事態になっている。教団の机の下にはベルが設置され身の危険を感じた教師はそれを押して助けを呼ぶ、学校の周りには警官が常駐していてすぐに駆け付けなくては教師は生命の危機に瀕するのだ。英語がわからない子供たちに教育をすることはできない。教室は暴力教室に代わっている。そんな学校が急速に増加しているという。
所得税は40%と、消費税は30%近い、その代り医療は無料と言うことで病気を治すためだけにイギリスに来る人であふれているという。むろん税金は一銭も払ってはいないが治療はただで受けられる。なんだか日本の姿を見ているようでもある。教育に対しては莫大な税金が使われているがその金は無駄なものになっている。
イギリスの財政は日本人が考えているよりはるかに貧困である。
経費削減のために警察官がリストラされ治安は頗る悪くなっていて、テロ捜査もままならなくなっている。テロを止められないわけだ。このままでいくとイギリスと言う国は沈むだろう。また、これは日本に取っても注視して見守りその弊害を避けるような政策を打ち出さなくてはならないことは言うべくもないことだ。何か日本を想起した人も多かろうと思う。在日特権、健康保険をただで渡航者に使わせていることなども解決しなくてはならない明白である。
イギリスは中間層が音を上げている。今のところは経済成長率はいいからどうにかなるかもしれないがお先真っ暗なのだ。
EUはドイツの一人勝ちである。中国のバブルの崩壊に引きずられることは確実でさらなる発展は望めない。
まあ、ドイツと言う国は三国同盟を結びながら中国において日本と戦っていた国で、それは表向きであっただけ。なんでもありの国である。が今までのようにEUの覇者でいつまでおられるかはわからない。
長く続いた白人至上主義の終焉に向かって拍車がかかりそうである。
要するにヨーロッパの文明が終わるということである。
今も民族の大移動の時代だと考えている。歴史上この移動は度々と行われ世界の地図は変わってきた。
植民地政策を取った国々は強奪とレイプと虐殺をほしいままにして土地とを奪ってきた。その遺産がなくなって消える定めを迎えたというだけである。その復讐を受けていると言ってもいい。
今日必しぶりに為替と株の動きを見た。日本の株価が2万円近くになっていた。
これを見てまず戦火はないと判断した。
金持ちがそのことを予想していない、陰で世界を動かしている金持ちが動いていないということは戦火は今のところないと言える。
それにしても日本国民は呑気なものである。その呑気さが国会にも表れている。朝日、毎日、東京新聞が売れていることである。
この国は国民が死ななくては何も動かないという不思議な国である…。

いつか何処かで…。16

今日の倉敷は曇り時々晴れ…。暑い日差しが時折さしていた。
何もできない、する気が失せる日であった。

今まで常に思ったことは、書き込みをして読んでくれる人は本当にありがたいと思う。コメントを書いてくれる人にも感謝したい、その人がどのように読んでくれようが、その外の思いを知ることが出来るという点がわかる。
人はそれぞけの考えから思うことを書き込んでいることに何も文句を言っているのではなく、意見の違いはより勉強になる。
が、
発信をしているひとの、それもいいねを何百とある人たちの中には、人の発信に対して一切読まない人がなんと多いことか。私のを読んでほしいというのではない。ほかのすごい提言をしている発信に対してもそれらの人たちが読んでいる気配がまるでない。私はその人たちの書いているものにすべて目を通し私の姿勢を正し勉強させてもらっている。
私がFBを続けるのは相互の考えの隔たりを受け止めそれを私なりに精査し私の思いを書き込むことにしている。
私は自分の発信だけの人に対しては削除、ブロックをしてきた。わずらわしい、人間関係が作れなかったということです。
私は友達申請に対してはプロフィルに人間の顔を載せている人に対してのみ承認している。いつの間にか400近くなっている。
人の発信を読むのが好きだ、このような考えがあるのかと言う新しい発見がうれしい、それがたとえ私の考えと異なっていてもそこに生の声を聴けることに対して尊敬をする。
ここでたくさんの人たちに教えられることが多い、私が書いたものが気になれば過去の私の書き込みを読んで批判をしてくれることもうれしいことです。
それもなく自分の発信だけで自己満足と言うことでいいのか、まあ、それも否定はしません。が、そのような人を否定する文にお目にかかるとあなたは人の書き込みを読んでいますかと問いたくなる。
それでは友たち関係など成立しない。自分のも読んでほしい、相手のものも読む、そこになにかが生まれると思っている。
まあ、自分だけと言う人がなんと多いことか、そんな人はなるだけ読まない様にしているが・・・。そんな人たちと理論の交換をする時間の無駄を感じる。
また、最近、書き込み禁止を言い渡されている人が多い。これは表現の自由にかかわる、いいえ、FBとは管理されているので仕方がない。
書きたいことを書いて停止になることを恐れることは無い。それも自己の表現でありどんどんと書き込むべきだ。
ここにも日本人の傲慢が満ち満ちしている。
こころして書き込みたい、たくさんの人たちではなくつたない書き込みを読んでくださる人たちのために…。

いつか何処かで…。17

倉敷は晴れたり曇ったり、夜になって少し冷え込んでいる。梅雨の日の一日である。
近所では田植えが行われている。川には水量が増え田地に入れている。もうじき稲を植えた田地が緑に代わることだろう。長閑な田園風景がみらることだろう。
それにしてもこの時期にこんなに寒い夜が続くことに少し戸惑っている。私のような夜型の人間にとってはつらいことだ。

世間のことにあまり触れたくない。その思いはある。あくまで専門家でもないので知ったかぶりはしないことにしている。
世界の、日本の動きに対して適切な提言を持っていないからだ。私はこう思うという範疇でしか語れない。
はっきりと言えることは、
国民のレベルで政治も社会もレベルは決まるというしかない。と言うことは世界のレベルが低下しているということだ。いくら大学がたくさんできても人間としての資質は向上していないということになる。
哲学はなくなり、文学も低迷している。人間の精神を高めるものがこの体たらくであるから仕方がない。また、国民はそれレベルを上げる努力をしていない。相も変わらず仕事ができない議員に投票をしている。その人に自分を信託していいのかの判断はない。マスコミの先導や周囲打算に迎合しての思惑の中でそれを決めているということは人間を洞察するこころの目を持ってはいないということだ。
国民のレベルを上げない限り相変わらずの議会になる。それをとやかく言うことは自らを貶めることに気づいていない。
例えば、今盛んに言われている天皇陛下の譲位の問題にしても、平安時代には譲位は当たり前に行われていた。天皇が譲位すると上皇になられ、また、その上の法皇になられ院政が行われていた。いまさら皇室の在り方に政治が言うべきことなのかと疑問に思う。
また、女性天皇、女系天皇という問題が浮上しているが、この違いが判る人はそんなに多くない。これは昔にはよくあったことで女性の天皇も何人か出ている。これらは政権争いに関係していた。この女性と女系の問題を書かないがどうか調べて認識を新たにしてほしい。そこには遺伝子の問題がかかわっていることを知るだろう。
天皇についてあまり書くと快く思わない人も多いのでやめておく。
私は西行法師を書くために平安時代の末期に遊んだことがある。そのことは戯曲「花時雨西行」として書いた。ここに大きく色を落とすのは鳥羽天皇の女院の待賢門院だ。崇徳帝の母親である。また建礼門院の母でもある。平清盛にも深いつながりがある。平安の時代を遊んでも末期が創作意欲をくすぐることがなんと多かったか。この時代から鎌倉にかけて7大仏教が誕生している。天台の僧兵が盛んに活躍をしたのはこの時期である。それぞれの仏教の宗派を調べると大変面白かった。
親鸞が男の性に苦しんでいた時に、
「越後の冬はまるで墨絵のような世界であった。その極寒の地直江津に私は流されたのであります。時は鎌倉、この私は愚禿親鸞と申す乞食坊主である。比叡山で二十数年の修業を捨て山を下り、彷徨い歩いた末に比叡山よりもっと激しく辛い百日間の六角堂での荒行に挑みました。煩悩、女人が齎らす苦しみを乗り越えたかったのであります。天台真言臨斎曹洞の教えは殺生をしてはならん、つまり肉を食ってはいかんということと、女人と媾合うてはならん、と言うものであったのだが・・・荒行も終わりに近ずいたある日、聖徳太子の化身といわれます、救世観音が現われ、「もしお前が女人なしでは生きて行けぬと言うのであるならば、この私が玉のように美しく清らかな女身になりお前に身を任せよう」との言葉をむつがれ、肉食妻帯をお許しくだされ、「これから法然の許へ身を寄せよ」との道を指し示してくださったのです。私はその足で直ぐ様法然上人を尋ねました。その教えに心洗われ涙を流し、弟子の末席に加わることを許されました。「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽浄土へ往ける、ただただ念仏を唱えれば、何も小難しい経も読まなくていい、そのことが民衆に受け入れられて、広がりつつあったときでありました。伸びよう、大きくなろう、民衆の受けがいいということは、比叡山延暦寺としては快い事ではありますまい。僧兵の武力による嫌がらせ、非難中傷が巷を駆け廻りました弟子の何人かが、朝廷に出入りしていた女人に手を出し、檄に触れ、女犯の罪で、法然上人以下すべて流罪を言い渡されたのでありました。直江津で恋をいたしました。地領を持つ身分の高い家の子女、その子女が後の恵信尼であります。流罪の身でありながら所帯を持ち、なした子が八人。流罪が解かれても京都には帰らず、恵信尼と信州は笠間で、浄土真宗を布教いたしました。法然上人の教え、ただただ「南無阿弥陀仏」と唱え参らせば、どんな極悪人でも極楽浄土へ行ける。その教えは広く広まっていきました。子供は一世夫婦は二世その絆を説きました・・・
    「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや 」

平安時代はとても面白かった…。

いつか何処かで…。18

倉敷は今日は曇り空…。気温も上がらず肌寒い…。
私にとって、煙草は体の調子を計るバロメーターでもある。調子が悪い時には煙草を歯牙もかけないが、調子がいい時には自然に煙草に手がでいる。
煙草について禁煙派は罪悪人のように責め立てる。が、たばこの害について科学的には証明されていません。
禁煙を推奨するhホームドクターも私には禁煙を進めない。自律神経を患っていることを知っているからそのストレスの方が怖いという。
煙草は私にとってストレスを緩和させてくれると医師は言っているようなものだ。
また、物を書いていると無性に煙草の煙がほしくなる。飲むと頭が冴え理論をくみ取ることが出来る。
今の世で人の嗜好品までとやかく言うのはどうか、酒を飲むなと言うこともそれではあっていい、攻撃してもいいということになる。ゴルフも自然を破壊するのでやめろともいえる、旅客ジェット機も排気ガスを車に何千台分も吐き出すから乗るなともいえる、それは車にも言えそうだ、それらに対してたばこ排斥の如く批判しているというのか…。
ばかばかしい、やがて酒もやめろという排斥が始まりそうである。
原発が、温暖化が、政府が悪いなどと言う声に国民のレベルを高めるということを提唱してこのくだらない政治を変えることに情熱を燃やしたらどうか、それには国民が国民の嗜好品まで文句をつけるという低レベルな行いがあっては改善の余地はない。自由の中に基準をはっきりとしてけじめをつける、不当な差別的発言、例えば自分が嫌いだからと言う一方的な言葉を履くことのないと柔軟さがいる。傲岸な態度はやめにしなくてはならない。
これが世界的に行われているということはドイツのヒトラーが行った政策そのままである。
なぜ日本がそんなに堅苦しい世の中になったのか、これは個人主義の行き過ぎであることを認識しなくてはならない。
また、自転車の駐輪について罰金を科せる、これなど警察の利権でしかない。地方自治体は自転車道路も作らずに事故に対して損害賠償に加担している。地方自治体がその保険を作ればいいだけである。有権者が困っていてもそこの議員は何も手立てを行わない。
選挙の立候補のうたい文句には安全のためどこどこにミラーを付けたとさも仕事をしたと言わんばかりのことを堂々と載せている。それは議員の仕事なのか、警察の仕事である。孫に議員としての職分もわからぬ人が議員になっているのも市民の人を見る眼がないということだ。これは国会議員にも言える。
何度も書くが、
国民のレベル以上の議員は誕生することは無い。国民がより良い選択をするしかない。
人は哲学、宗教によって生き方を学ぶというが、それが本当に人間の徒って規範となり幸せになる方途なのか、教えられるということはそれに準じて生きていれば楽なことだ、法律によって縛られていた方が楽に暮らせる。何もカモ何かに頼って生きていいのだろうか。本能をゆがめられてはいないか。
私は作品を書き為にメソポタミアのシュメール文明に遊んだ。そこにエデンの園はなかった。
天文学、医学、建築学などの最高の功績を見てもなぜか感動はなかった。ただ驚いただけであった。
星座に名を付け、地球の生成を説き、太陽系に名を付け、月の満ち引きで1か月を計算し1年が12月あることを示し、天動説を説き、脳腫瘍、白内障の手術をし、数学を用いて巨大な建造物を作り、ビール、ワインを飲み、穀物の飛躍的に収穫を齎す農機具し、文字を作り、芸術作品をたくさん残し、その文明は周囲の木を切り倒して何もなくなり消滅していた。
この例を引くことなく人類は同じ過ちを犯しつつある。
やがて何万年か後に、
日本では、日本橋と皇居の石垣、明治神宮の鳥居の遺跡しか発見されないということになるだろう。
このことは出版される「砂漠の燈台」の中に書いた。
今の人間の進化はその時代に形を変えて存在することだろう。
進歩も進化もしなくていい、今の世の中を人類のユートピァにする努力が必要だと書いた。
文明によって人類は駆逐されたその遺跡は世界に数多く存在しているのを見ても明らかであろう。
これは私の妄想にしか過ぎないことだろう。が、せめて…。

いつか何処かで…。19

倉敷の朝方は涼しいというより寒かった。
私は書き物をしない時にも夜型の人間で5時位就寝する癖がついている。この生活は50年間も続いていて変わることは無い、が、最近とみに3時ごろになると眠くなる。これも歳かと思う。
病との道ずれの生活をしているが、体はだるくても頭が重くても思考力は関係がないのかものを考えることが出来る。
今、作品を書いてはいない。構想を練るという段階である。まあ、これが出来上がると90%は完成したのも同然だ。が、しんどいテーマに取り組んだと後悔している部分がある。
人間の本能と遺伝子、専門的な勉強もしていないから今まで生きて来て知っている人を解剖することになる。そこから生き方の中に本能と遺伝子を見るのだ。
日ごろ、人の顔を見てその人の生き方、ものの考え方を推量し判断をする訓練は積んできた。顔を見れば先祖が見えるというところまで感じるようになれた。これは大変失礼なことで不遜であることは承知している。が、物書きにはそんな部分が不可欠なことなのでお許し願うしかない。
今の科学では平安の末期の待賢門院の月経の周期までわかる。待賢門院とは、白河法皇の寵愛を受け鳥羽帝の女院になられた女性でその頃美貌を謳われ人なのだ。この人の局としては堀河の局がつとに有名である。百人一首にも取り上げられ待賢門院堀河として登場している。西行法師がまだ佐藤義清と名乗りまだ北面の武士として御所の鳥羽帝警備していたころ、歌を習ったのが堀河の局の父親であった。
「心のひだまで読みおる」と言わしめている。その堀河によって待賢門院と知り合うことになる。この二人のことはここには書かない、
待賢門院は崇徳帝と建礼門院を出産しているが後にできた子は不遇で早くなくなっている。
このあたりのことは戯曲「待賢門院堀河」で書いた。西行と女院の間を取り持ったのは堀河と書いた。この件があって西行は出家して、妻子を棄てるのだが、友の早死に心痛めての出家と言う説もある。真意は歴史の中で分からない。女院は疱瘡でなくなっている。西行とは徳大寺家の一門で縁戚関係があった。
また平清盛とは鳥羽帝の北面として同期である。荒法師文覚は白河帝の北面であった。源氏の名前がここでは見られない。このあたりのことはまだつまびやかには語れない。
滝口入道と横笛の悲恋もこの時代である。
まあこのあたりは想像して楽しめばいいということなのだ。
西行法師は南河内の葛城山のふもとの弘川寺で円寂されている。
西行については女性がしなを作り近寄った女性の相手を辞退しなかったという話もある。
また、
「歌を詠むことは仏を作ること」という有名な言葉がある。
私は
「小町歌人六歌仙」を書き小町が政争に巻き込まれて亡くなり、その祟りを恐れて六歌仙に入れたということも書いた。全国に小町塚があるが、それはその祟りを恐れての逸話であろう。
平安京、その下には琵琶湖に相当する地下水が蓄えられている。
また、今の鴨川は京都盆地の真ん中を流れていたが平安京を造設するときに東に運河として流し水神様として時の陰陽師賀茂氏に任せている。賀茂氏こそ陰陽師の開祖である。
京都には隠された歴史がいっぱいに詰まっている。
それを知ることが出来るのは何時か、また、表に出ない方がロマンを醸すか・・・。
京の都には長く行っていないが、昔の面影だけは鮮明に心に落としている…。

いつか何処かで・・・。21

倉敷は晴天が、余り気温は上がらなかったが、私の病気にはクーラーが適しているので入れている。
気圧が人体にどれほど作用するのかはホ通に健康の人には皆無だろう。
今、書こうとしている「今の女性は本当に幸せなのか」をテーマにした作品、「めぐりくる季節の中で」の構想は行き詰まっている。あまりにもテーマが壮大で出てくる人たちもかなりの数になりそれをかき分けなくてはならないという事は大変な作業になる。舞台の戯曲は50-80人の書き分けをしたことがあるが小説ではそんな長編は初めてである。
古代の女性がどのように生きたか、歴史の中の女性の生き方を生活を見本として現代の女性の本幹を書くことになる。
構成としては「春告げ鳥」「夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」4章にして書くことにしている。
祖母が残した日記を娘と孫たちが読み祖母の生き方の中から女性の真実の姿を見出し、比較するという流れである。
下書きは筆ペンで書いているが、その日によって思いが変わり前に進まない。
戯曲の2時間物120枚は一晩で書けたのにという思いもあり焦りもある。衰えを感じることもある。
今回、幻冬舎から出版する「砂漠の燈台」200枚「銀杏繁れる木の下で」100枚「天使の子守唄」60枚「麗老」50枚の作品が納められる。

創作秘話 「砂漠の燈台」

 この作品は、私が読みたいから書いたものだ。この歳になって若かったころに読んだ物を引っ張り出してと言うのも億劫なので書きながら読むと言う事で書き始めた。五年前に書斎をリフォームして五千冊以上は破棄した。あとには、図書館でもないというものを遺したが六畳の間に平積みをしていて、昔の書斎のようになにが何処の棚と分かっていた時と違って何処にあるのかも分からなくなったからと言う事もある。
 今は背表を見てこの本を読んだのはあの頃だったなと記憶を呼び醒ましてほくそ笑んでいる。私は読んだ本はすぐに忘れて次々と乱読していたから覚えていないと思っていた、が、背表を見ていると何処にこのような事が書いてあったと思い返している、と言う事は記憶のなかに蓄積しているということになる。そんなに精読をしていないのにと、作者に
申し訳ないと思うが、今思い出されると言う事はある意味で作者が作品を通して私の心をつかみ、私はその思いを心に畳んでいたという事なのだ。
 忘れていること、そのなかから私の書くものに影響を、人間を教えていてくれたことに感謝しなくてはならない。
 多い時には二・三万冊はあったから、積読ものもかなりあったが、そのなかから知識となり知恵に切り替えられたものも沢山あったろう。それが私の頭の中で私なりの表現に変えながら書いたと言えよう。
 福沢諭吉氏が、国家、民族、と言う言葉を発明し、作り、今では世界中で使われるようになっていることもありがたいもので、総ての言葉を先人が発見し、名前を付け、たものである。が、それらを使い書いて創造物だからと言って著作権を欲しがる作家の多くは何と言ういやしい考えしか持ち合わせていないのだろうか。
 作家が金に執着をし欲を持つと碌な事はない、それが今の日本に文学が育たないと言う事に通じている。まず先人が残した言葉を使って今を書き後の世まで遺すと言う事は無いらしい。今、金が欲しい乞食根性なのである。
 私はそんな本を読みたいとは思わないから、自分のために書いている。
 爾来、書きものをするという事は自分の備忘禄として、また、子孫のために書いたものだ。作家は金に目がくらんだ亡者、著作権なんか溝に捨てることをお勧めしたい。
 この「砂漠の燈台」は自然と人間の一体化を基軸にして人間のこころに巣くう曖昧な心の中から光を見つけると言う物語にした。
 敗れ成就しなかった恋、青春の思い出が何時までも心に燃えていて、それを心の糧にして人生に挑戦すると言う物語を書いた。そんな小説を読みいと思ったからだ。歳をとると若い人たちの物語を、はかない時の巡りのなかに生きる人達の物語を読んでみたいと言う事も書く動機であった。
 今を生きている人達に文句は一言もない。その人たちになにが正しいかを言う資格は何処の誰でもない。ます、自分はこのように生きると言う事を持って生きることだと思うからだ。それを世間に対してこれが生きることの大切さだ、と言うのは宗教家、哲学者である物書きではない。物書きはその人たちよりもっと先に進んでいなくてはならないと言うのが持論だ。これは、歴史家、郷土史家の人達と大いに違う点だ。物書きはロマンを持たなくては書けない、常識ではなく知恵がなくては書けない、足元を見て全体を想像する力を持っていないと書けない、時間を感じてその時代に飛んでいける感性がなくては書けない、人の死を見てその人の全人格、過去と現在と未来を感じなくては書けない、雲のあり方を見て世界の趨勢を感じ取る機知がなくては書けない、顔や名前を物語の中で人格を持ったひとりの人間として書かなくてはならない、それがなくては一行も書けないものなのだ、が、今の作家はそれがなくては書くことが出来るらしい。見上げたものである。
 私は、明治大正時代の偉人の物書き宮武外骨が大好きである。見えていたから何ものにも動じず書きたい事を書き放り出したのだ。この反骨精神こそが人間の証しである。
 また、坂口安吾、この人からは狂気とあくなき執着を見て取れることになぜか親しみを感じる、堕落、それは一番に人間らしいなどとほざくあたりは喝采ものだ。この人の物が今は読まれているのか、これほど心やさしい作家はいないと言える。何をしてもそれが人間と言うものだからいいのだ、この言い訳は見事としか言えない。
 宮武外骨と坂口安吾の共通しているものは人間の優しさであり、それゆえに持たなくてはならないものは狂喜なのだと教えてくれる。
 私は二人ほど優しくはない、だからきれいなものを書いた、書きたいと言う自己満足をしているのだ。
 砂漠の中で道に迷う人達のために砂漠の中で明りを灯そうと言う一人の女性の姿を書き著わした。それは、人の心に巣くう不遜と傲慢なことなのかも知れないと思いながら書いた…。
 明日、私はサハラ砂漠にいるかも知れない…。と言う言葉を最後として閉じた…。

続編は、人間と自然との関わり合いについて、また、これからの人間の進む道を問うという形で書いた。
燈台、それは人の心にある事を書きたかった。

いつか何処かで・・・。22

倉敷は晴れて蒸し暑い日、梅雨に入ったのに梅雨らしくない日が続いている。頭は今日も重たく何かかぶっているようだ。
このところ書きたくてしょうがない。
作品が書けないから「いつか何処かで…。」を書いている。
世界の動き、日本の動きを見ていると人間の劣化を感じる。教育は金を儲ける手段なのかとも思う。物欲に支配された世界、宗教の教義などまったく関係がない。民主主義、共産主義など相反するようだが欲望、金銭欲に操られている。
宗教戦争、民族戦争は終わりがない。常に我執の中でその争いは起きている。それを起こすのは政治家、後ろに軍事産業が控えていて操られている。
アラブの春ときれいなことを言って、リビアのカダフィ、イラクのフセインを殺した。今またシリアのアサドを歯牙に懸けようとしている。この内乱を意図的に作ったのはヒラリークリントンだという。石油産出国を内乱に導いた、その裏にはきな臭いものがある。
国連決議など何の役も塊ていない。常任理事国、戦勝5か国の使い走りに過ぎず、失業者救済でしかない。いろいろな委員会では敵国条項の残る日本を晒しものにしているだけ。日本もおめでたくそこに分担金を払っている。お粗末すぎないか日本は…。
その間シナは世界に金をばらまきしたい放題の蛮行を重ねている。
今シナがやっていることは自国の戸籍のない人たちに戸籍を与え
パスポートを支給し海外への移民の国の奪略である。
今、イギリスで問題になっているのは過疎の町や村に不当に移民が住み着きコミュニティーを作ってそこの住民なりすまし、
占有していることである。これはイギリスだけでなく世界的に行われていて、日本も過疎地帯にシナ人が、朝鮮人が無断で住み乗っ取っている例は書ききれないほど生まれている。
世界は民族の移動で確実に恐怖にさらされている。かつて、アーリア人が世界を制覇したようにである。
寝ぼけた日本政府はその手立てをまだ作っていない、移民受け入れに動いていることは危険過ぎる。
アメリかは日本海に空母の大部隊を展開しているが、シリアの問題が解決しなければ攻撃が出来ないという問題がある。シナに北朝鮮を抑えさしているが、秋の全人代の大会が終わると一転アメリカとのいざこざが起こり南シナ海での戦闘に発展する恐れが大きい。
また、アメリカ国内ではマスコミがこぞってトランプの排斥の放送を流し続けている。何が起こっても不思議ではない。第二のケネディーになる恐れもある。
一方日本に目を転じてみれば国会で玩具をひっくり返して遊んでいる。
日本国民が心すべきは、国民のレベルで議員となっているという認識だ。
議員の中にはシナや朝鮮のスパイが入り込んでいて、また、フリーメイソンに所属する人たちもたくさんいるという事だ。つまり紐付きである…。
ここで、国民は政府をあてにせずに自分の命は自分で守ることを心掛けてほしい…。

いつか何処かで・・・。23

倉敷は晴れていても気温が上がらない…。がクーラーはいる…。
こんな日も頭は重い、考えるのか億劫だ。
今日は少し横着をさせて頂きます。
創作秘話 「ふたたび瞳の輝きは」2013/8/4

この作品は、「あの瞳の輝きとわに」続編として戦後の焼け野原で生きていく子供たちの姿を書いた。私も其の世代に其の中にいたので是非書きたかった。
 あの瞳の…の女教師は登場させているが戦後の日本の現実を書くことで、其の中で生きた子供たちの事を書くことに専念した。
 子供たちはどんな境遇にいても、明るく、笑顔を忘れず、瞳はきらきらと輝いていた。そこには子供としての未来に対しての夢と希望が満ち満ちていた。食べるものがなかったから腹をすかしていたが、これから何が始まるのかと言う好奇心はあふれていた。
 戦争が終わって自由になれたというのではない、爾来子供たちが動物として持っている生命力を遺憾なく発揮していたのだ。何ものにも恐れず逞しい、まるでライオンの子のように悠然と構え未来を見据えていたと言える。
 戦後は酷かったという言葉をよく聞くが、子供たちに取ってそれは的確に該当するだろうか。自然が何の力も必要とせずに再生するように、人間は其の生命力を持って立ち上がる事を知っていた。これは古代から、戦火の中で生きてきたすべての人達にも言える。
 この公演には五十人に及ぶ出演者がいる。その人たちに戦後の悲惨な生活を演じさせるつもりはなかった。それは一つのエピソードとして入れた、テーマを盛り上げるための、専門用語でいえば反貫通行動、戦争で打ちひしがれる姿をそれに使い、子供たちがいかなる環境の中にも友情が芽生えそれは永遠に続くと演じさせた。
 肉親との離別はさらなる社会の中で生きる活力を生むものだと叫ばせたかった。
 出会えたことの素晴らしさを感じてほしいという思いを持ってくれと切望した。
 人間なんて小さな物でこの地球の中ではなにの役にも立っていないのだから、まず、自らを律し前に進み、何が本当に必要なものかを見つけよ。と言いたかった。
 子供たちの生き方、そこに友情を生む素地があること、時間と偶然が結びつけた人と人との出会い、それは人知では測れない奇跡なのだ、其の奇跡を大切にし、感謝してはどうかといいたかった。
 どこにいてもどんな暮らしをしていても生きることには変わりはない、ならば、人として最高を目指そうではないかといいたかった。 
 この作品を書いたのは五十代の半ば、演劇人会議の実行委員、篠田正浩監督の映画製作に参加、新聞にコラムを、小説を連載していた時、子供たち五十人と演劇を作っていた時、私は其の時間を充実したものとして過ごした。
 そんな中、この作品は二時間もの、一晩で書きあげている。
 この後、大変に忙しい時を経て、子供たちを卒業させ、演劇人会議を「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」として立ち上げ発足させ、総ての物を一区切りつけ、六十にして総てを捨てた。
 総ての作品には思い出があふれている、花盛りとは言えないが心に一輪の花を咲かせたということであれば本当にうれしい。
 今、この世の中に、戦後拾ったものを捨てた時代をもう一度考えてみて拾えるものがあったら拾う事を勧めたい…。
 それは、限りなく崇高な友情と言う宝石だと断言できる。
 あの夕陽に真っ赤に焼かれた田舎の駅舎の庭にそびえる銀杏の姿を今も思い興し銀杏に恥じない生き方が出来たのかと自問自答しているのだが…。

いつか何処かで・・・。24

倉敷は今日はあまり暑くない穏やかな日だった。6月の風は5月の風と違って緑ではない、緑が枯れていく褐色のようだ。
人間は自然によっていろいろと様々な恩恵を抱いている。例えば雨の音には心の安らぎを、風にざわめきには生きている証を、雪には落ち着いた精神を、その変化に人間は順応し過ごしてきた。そこから生まれ築かれたものは大きい、季節と日々の気温の変化が強靭な肉体を作ってと言える。自然と共生というが、ともに生きてきた歴史はない。あるとしたら一体という事だ。自然の共に自然の中に溶け込んだ歴史は幾らでもある。自然と合体して作ったのが古代の歴史である。自然を人間の手で毀している、その生成に手を貸す、これは人間の傲慢というものだ。人間が都合のいいように自然に手を入れて作ったものがそれを共生というだろうか、それは利用という事にしか過ぎない。
自然の営み、その再生にまで人間がかかわることはどうだろう。植林は自然破壊、そのサイクルを無視した行為だ。森林をほっておいたから森林は死滅しているというが、さてどうだろう、自然には自己のその再生力がある。それは歴史が物語っている。風が吹き付け弱い木々を押し倒し腐って土にかえりそこには新しい芽が育つ、、雷が山火事起こさせ焼き払い、新芽の森林を再生する。日の循環が営々と続いた自然の再生であった。森林に手を入れなかったから洪水になった、それは人間の考えである。自然はそれをめぐって続いてきている。山に降る雨がやま旗の肥沃な土を海に流すから魚が繁殖して海の幸が豊魚となるという仕組みなのだ。昔から漁師たちが山を大切にしたのはその摂理を知っていたのだ。
自然に人間は手を貸すことは無い、自然の持つ再生力を信じて見守る勇気が必要だ。灌木などしなくても自然の競争力と生命力によって淘汰されるものが出る。日当たりが悪いところにしか育たない木々もある。朽ちた木々から新芽が必ず生えて成木する。
木々はCO2を吸収し成長して果実を作る。吐き出される酸素は動物がそれを戴く、また、余分な酸素は地球の上空にオゾンの幕を作り太陽の熱を和らげている。これが自然の循環である。
私達が食べている米は半以上がCO2であることを、そして人間の口に入っている植物もCO2であることを知らなくてはならない。今、この地球上に0.04パーセントのCO2しかない。
かつて恐竜が2億年も続いていた時には20%もあって植物が栄えに栄えた時期であったから恐竜の時代は長きにわたったのだ。恐竜だけではなくあらゆる動植物にとっては楽園でもあった。
食べ物が豊富であったから恐竜は巨大化し、心臓の血圧が頭まで到達できなくなって絶滅することになる。隕石がという説もあるが、確かに恐竜時代の末期にそれは起こって死滅した後の事である。
人間の誕生はCO2と海水、雷が作ったと言われている、両性の小さな生き物。体を分けて繁殖していた。これはアダムとイブの物語によく表れている。アダムが胸の骨からイブを作る、まさに初期の人間は体を分けて増えていったのだ。
全てが自然の生業であったと言える。
私はメソポタミアのシュメール文明に遊んで、その文明が忽然と地球上から消えたのは、チグリスとユーフラテスの川の流れによって豊だった大地を破壊し喰いつくしたこと知った。
人間が作った文明はその文明によって駆逐されていた・・・。
この地球はCO2によって作られている、事を知り地球温暖化を阻止するためにCO2を削除しなくてはならないという出鱈目を信じないことだ。削減すれば確実にこの地球上の動植物はすべて絶滅をする…。
京都議定書、パリの温暖化を蹴とばしたトランプ氏は正しいが、果たしてこのことがわかっていたのかどうかは不明だ・・・。

いつか何処かで・・・。25

倉敷は今日は暑い、何か頭がぼんやりとして熱ポイ感じ…。
頭の重さから明日は天気が崩れる予感。
今、ぼんやりと考えている…。
時代が進んで過去の歴史が書き換えられている。文明で言えば世界最古の4大文明は確実にもっと古い文明があることが実証されて崩れた。
その一つに1万3千年前の山形の遺跡から出土された一体の土偶である。当時は縄文紀で、そこに文明が栄えていたことが明らかになった。縄文の女神である。その土偶は今の彫塑家でもあれだけの表現が作れるかという精巧なものだ。当時の土偶には女性のものが多く、驚くことにすべてが妊婦の土偶である。今と異なり、男は女性に手飾りや首飾り、頭を飾る冠を作り求婚し、身ごもれば彼女に似せた妊婦の土偶をつくり、それを壊して住い地の各所に埋めている。それは妊婦を思う土偶による身代わりであった。
なにかほのぼのとしていて心が安らくものだ。当時の寿命は25歳位だったろう。女性は初潮を迎えると直ぐに男と生活し身ごもった。その頃は温暖化で北海道、東北は食料が豊富で高度な文化圏を作っていた。
旧石器、石器、青銅器と言われているが、鉄器はもっと時代を廻らないと出てこないが、意外と早く人々によって使われていたと思っている。
鉄は、地球が生まれた時から地球のどこにでもあったもので人々にとって身近なものだった。大気の中のCO2が海に溶け込んで石灰を作り地殻変動で露出して今があるように、鉄はもっと昔から人々によって使われていたという方が文明の布石から見て正しいように思える。貴金属、宝石はマグマによって吐き出された火片石である。鉄はもともと地上にあったものでそれに含まれない。
縄文紀の女性たちは幸せだったのか、男たちがなぜ妊婦の土偶に託したものはなんであったのか、子供を作り次世代に繋ぐその遺伝子の本能
だった。
動物の世界ではオスは子孫を作る能力がなくなると死んでいく、メスは閉経すると死んでいく、人間にはこの自然の動物界の摂理は理解できないことだろう。
人間が手本としなくてはならないのは狼であろう。一夫一婦制を厳重に守り、子供を育て、
愛をはぐくむ動物だ。また、群から離れた動物を自分の子のように育てている。
この狼の生態を見ているといまの人間が愚かしく思えてしょうがない。
今の人間の姿は本当に男女にとって最善なのかと問いたい…。
本能で生きるのではなく、ただただ快楽だけを求める、物欲と性欲だけの動物に見えてくる。
繁栄が必ずしも人間にとって幸せとは言えない、
私は子を孕んだ連れ合いのためにその安否を心配し土偶に託した縄文期の男女の思いに限りなく思いを深めたい…。

いつかと何処かで・・・。26
倉敷は一日中どんよりしていた。風もなく、雲は梅雨空に見えたが雨は降りそうになかった。背中が痛く、頭が重い、呼吸も浅い症状だった。
昨日晩、幻冬舎から最終校正提案がメールで届いた。文字の統一が主だった。時をとき、事をことにしていいかという事でそれが編集のルールだと言った。私はどちらでもよかったからお任せすると返事をした。
これからそれを直して製本にかかるという。来月の終わりには完成し全国の本屋さんや、Amazonにて通販されることになる。
今小説なるものが読者に受け入れられるとは思っていない。まあ、読んでくれる人がいれば奇特なお人と思いたい。
なぜ、遺作として書いたものを出版するのか、お祭り騒ぎが好きなのかもしれない。最後の花火と思っているのかもしれない。
劇作は「日本演劇協議会」が戦後の戯曲の変遷として全国で公演されたものを全10巻に収めた、その中に120作ほど紹介されている。また、文化庁の要請で早稲田大学が公演の映像をデジタル化して保存してくれている。
これらは私が劇作家も演出家もやめた後のことで、出演した多くの人たちにとってよかろうと資料を提出したものだ。
決して私から望んだものではない。私は自分の作品が舞台で公演されているものを観客席から見たことがない。劇作を書いた時点でその作品から離れていたからで、次作を書いていた。
劇団を主宰しているときに3年間で3千万円提供するからという提案が国のある機関からあったが、国民の税金を演劇に浪費することと、ひも付きになることを良しとしなくて断った。貰った人もたくさんいた。
私は好きなことをする人たちはまず身銭を切れという考えだったので、身銭を切らずに人間は成長も責任も生まれないと考えていたのだ。いとも簡単に行政の支援を受けて公演する団体の衰退を見てきた。金がなくては何もできない実態はあるが、好きなことをするのだから何かを節約しても身銭を切れという事だった。
私の考えが正しいかどうかはわからない。が、それが私の矜持でもあった。
今の日本では、宝塚と劇団四季くらいしか儲けてはいないことだろう。後はひも付きで公演しているところが多い。
俳優も役者も食べられるのはほんの一握り、あとはアルバイトで食いつなぎながらスポットライトが当たる日を待ち続けているのが現状だ。ひと昔前の演劇人たちは酒も女も男より舞台が好きだという人たちがやっていたが、今では女に男にもてたいという人たちの方が多いし、金をほしがる人達であふれている。
私達との時代との乖離を感じている。
60歳に何もかも辞めてから新聞も、テレビも、映画を見ていないからそのあたりのことには疎いが、流れてくる情報をもとに書いている。
作家も今の人たちは知らない。買わないし読んでいない。
そんなこともあって現在の出版社のことには疎いというところがある。昔、編集して本を出していた時とは違うようだ。
私は三島由紀夫氏が自決して以来日本の文学は終わったと思っている。作品を書く上で辻邦生氏の作品を読んだ程度だ。
私は60歳で遊び人になってからのために若い頃から5千冊ほど買いそろえてきた。そこには文学、哲学、心理学、などなく、人間の細胞、遺伝子、地球学、宇宙、歴史、古代文明、など今まで読まなかった本を買い求めていた。
計画通りにはいかずに開いていない本が多い。
蔵書を図書館に寄付したいと言ったら断られた。
5千冊ほど書斎をリフォームするときに破棄した。図書館にない本だけを残したがよくも読んだ、買ったということで呆れた。
今は原稿用紙に書くこともなくワードに打っている。
だが、原稿用紙に書き連ねることに哀愁を感じる歳になったのか、今では時にその升目をうずめている自分がいる…。

いつか何処かで・・・。27

倉敷は朝方の激しい振り込みと違って薄日の刺す一日だった
梅雨のしとしとという降りではなかった。風が吹き植木が飛ばされ木が倒れていた。
余り熱く無い日でも頭を冷やす為にクーラーは欠かせない。
今回、出版するものの中に「麗老」という短編も載せている。
老いていく中でどのように生き考えるの書き連ねたものだ。
「麗老」は定年をした男がいかに生きるのかを一面的な視点で書きたかった。綺麗に老いる、それはどういう性質のものか、真実などあるわけもないことを承知していた。少し遊び心を入れて重たいテーマを軽く書こうとした。老いという側面を多少なりとも書けていればと思いたい。書いた後、私には弁解の余地などないことを承知しています。読まれた方がなんだーと思われてもそれについて煩労をする勇気もない。こんな生きかた、があってもいいとご寛容に理解していただければ、書いた甲斐があったというもの、書き手のいい逃れは一切しません。
今、老いた人達の生活苦や生きがいについての問題も取り上げられているが、老いは等しくみんなに訪れる。
若い時から老いた時間をどの様に過ごすのかを、私なりの観点で書いた。
釈迦は人生を4区切りしている。
25までを学業期、25-50までを家住期、50-75までを林住期、75-100までを遊行期としている。
定年のころは林住期、人生で一番充実した時期であるという。今までの生き方を閉じて新しい人生を新しい気持ちで優雅に生きよという事だ。生きて感じたものをもってその時代を充実して生きよという。
なにかの転換期、今までしたいと思ってもできなかったことをする時間だという。
私は50歳ではないが60歳で劇作家も演出家もすべて捨てて75歳まで遊び人に徹した。その間できなかった、世界の歴史、日本の歴史、世界の宗教、古代の文明の中に15年間遊んだ。その期間で書きたくてしょうがない時期があり、拘らなく書いていた。それはそれぞれ出版した。やはり過去を引きずるものだが、それもありだと五木寛之氏は言っている。
それは言って見れば年寄りの玩具の様なもので子供がほしがるように年寄りもほしがる物と実感した。
この遊び人の期間があったことで「砂漠の燈台」という本が生まれることになった。
老いと生きる、そこに時間の無駄をないことを知った。
人は利他的に生きてこそ利己を評価されることも、人に必要とされる生き方が健康を呼んでくることも・・・。
老いて経済的に困窮しても今の日本の福祉では最低の生活でも生きられる。金がないからと何もくよくよすることは無い社会である。
定年制の廃止、年金支給の延長、人は体が動けばその時間があれば働くべきである、それが社会に役に立っているという自覚が持てる。
生きているとはそうしたものだ。
「麗老」の中の歳よりも突き詰めて考えるがなるようにしかならないことで今を生きることで明日を待つという生き方にたどり着く。
私は劇作家から小説家へと流れたが、皆さんも今までしたかったことに果敢に調整して新しい生き方に挑戦してみてはどうか、そこには今まで見えなかった世界がひられていることは間違いない。
老いるとは新しいあなたを作るためのチャレンジなのだという事で、林住期を、遊行期を第二の人生として歩み始めるチャンスの始まりである。
老いて何も失うものはない、そして何かを作ろうなどと考えることはない自由に生きて結果を期待しないことだ。その過程が楽しければいい、そして、明日を迎える喜びを迎えてほしい。
そんな意味で「麗老」を書いた。
年寄りの人たちに、幸あれ、健康であれ、そして遊び心を失わないでほしいと思い書いた。
物語の中ではいろいろに問題に直面し心惑わされ人とは何かを考えるが、自分が人間であることを認識したところで終わりにした。
老いは素晴らしい時間である。生きた人生を整えるのではなく、旅立ちの時である…。

いつか何処かで・・・。28

倉敷は梅雨空になっている、いつ雨が降っても可笑しくない…。こんな日は何をするにも億劫だ。
もう無理をせずに病と道連れで生きていこうとしているが。私のおねも枠のようにはいかない。毎日違ったところが文句を言う。まあ、不養生して生きた付けなのか…。
先日老いについて書いたが、いくら男が誘因性性欲だと言っても、け世間では女性が勇ましく露出をして誘惑する。ここには確実に表現の自由がある。と確認する。取り締まりは掛け声だけで放置している。緩衝地帯を割くるという事で性犯罪を緩和させているともいえるが、若者ならいいが、年寄りにとっては地獄である。歳を取っても男は男である。
私が東京に招かれても行きたくないのは目のやり場がなく立ちどまるしかないという事もある。過激すぎ、ついていけない。
そんな中で昔書いたものを思い出した。
創作秘話 「天使の子守り唄」  

 この作品を書いたのはもう四十年も前のことだ。私の住む水島の公害が緩やかになり喘息の死者もそんなに出なくなっていた。と言うのは工場の煙突を高くして煤煙を拡散させ遠くの土地に其の被害が出ている時だった。
 私を文学に導いてくれた、先輩の山本信夫さんの哀悼として書いた。
 山本さんにはアントン・チェホフを私に教えてくれた人であった。其の造詣は近隣では及ぶ人はいなかった。
 この作品の中で私は人間の老いにおける本能を問いたかった。男に取っての本能は自分の血を繋げると言うものだ。そして、女の本能もよりたくましく頭のいい種を持つ男との子孫を残すことであることだと思っていた。
 老いても其の欲望は消えることのない本能の業火に身を焼かれる一人の男を、ヘルパーと言う職業で出会う女性との時間と偶然を書いて問題を提議すると言うものだった。当時私は三十そこそこの若造であった。年寄りのことなど知る由もない立場にいた。
 訪問看護をするヘルパーの事は承知していた。あくまで其の二人の本能をあからさまに書くのではなくそうなる必然を筋立てた。
 夫を事故で亡くし子供を抱えた未亡人を、ヘルパーとして登場させた。
 まだ今のように老人介護の福祉基盤は作られてはいなくて手探りの状態の中に無いよりはましと言う程度の政策の上に成り立っていた。
 この頃私は努めて取材をしている。また、ヘルパーの実態もある程度つかんでいた。
 一人暮らしの年寄りを介護して金品をせしめているというヘルパーの実態も知っていた。また、其の年寄りを慰めることもあったという事も感知していた。
 年寄りの性、今その年になってつくづく厄介なものであると手に余ることが多い其の現実に直面して、よくも其の当時に書けたものだという感慨を持つことがある。若さゆえ、今だったら書けたかどうか、年寄りの性への執着、それが生きることの辛さと重なって悲哀すら感じることをよくも書けたものだと思う。
 この二人を私は鬼と表現した、人間ではなく鬼、なぜ、人間の倫理も理性もかなぐり捨てて本能だけで遇いまみえる行為を鬼畜としか思えなくて書いた。
 今、歳を取って読み進めていたら、真実が見えることに驚愕している。人間の悲しい実存なる行為、これは現代社会においても避けては通れない福祉の現実だった。
 年寄りは行為の対価をそっと落とす。それを子供のためと拾う、其のドライな感情は人間の欲なき自然営みに思える。
 私はこの作品で性を書こうしたのではなく、人間の在り方のひとかけらを明らかにしたかった。
 図らずも、この作品は現在の高齢化、障害者の性に対しての問題に対してのテーゼーとして、そんな大層な事を思ったのではなく、年寄りもただの人間の男女の生きざまを私が歳をとった時に対しての定義であることには違いない。
 歳をとる、それは何を意味するのか、快楽と言う、本能、またはそれを凌駕して生きる人間の業を問いかけることで人間のもののあわれを、悲しみを書き遺しておきたかったという事だ。
 今、其の歳になって遺された本能だけに振り回されている多くの人達が其の業火の中でのたうちまわっている現実を前にして茫然と佇む影が長い事を知る。
 それは国による福祉の枠では到底おさまるものではなく、これからの世代の人達はそれを凌駕出来る手立てを日頃から整えなくてはならない…。
この作品も「砂漠の燈台」の中に収めた。
生きるという事は何時までもその執着が消えないという、これは一種の拷問である…。その業火の中で生きる男の悲哀と切なさを書けていれば・・・。


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